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「世のため人のため」に生き抜いた人物

こんにちは。社団法人 日本帝王学 経営者協会のDemi伊藤です。

 

日本財団」の前身

日本で統合型リゾート(IR)整備推進法案、通称「カジノ法案」が成立され、日本発IRを設置する自治体3か所を決めるという運びになっていますが、わたしが研究している笹川良一さんは「日本財団」の前身、日本船舶振興会を創立をした人物です。

 

現在、日本財団はボートレースからの収益金の一部を活かして総資産額は3000億円の日本最大規模の財団になっています。

 

自ら飛び込んだA級戦犯の世界

笹川良一さんは巣鴨出所後、2ヶ月も経たない昭和24年からモーターボート競走法の制定について働きかけ始め、今から69年前の昭和26年3月に衆議院運輸委員会、同本会議で可決されましたが、同本会議では社会党の反対にあい否決された。
しかし笹川良一さんは最後まで望みを捨てず、法案成立のため必死の努力をつづけられました。この努力が実を結び、26年6月5日、第10国会の最終日に衆議院本会議で再審議され、可決となり、6月18日制定公布された。

 

戦後日本の復興をかけて

そもそも笹川良一さんがなぜモーターボート競走に至ったかというのは、戦後の日本の再建と発展、そして世界平和のために意欲に駆られていました。また、戦犯者の裁判費、そのご家族の生活費、およびに受刑者の救援活動などに熱心に取り組まれていました。

 

モーターボートを公営競技化にして事業発展させる理由は、占領下の日本では飛行機産業が禁止され、航空産業に期待できないため、海で囲まれている島国日本にとって海運業は日本と世界をつなぐ唯一の手段となっていたので、日本経済の基礎となる海運事業の発展、モーターボートに相通じる造船工業の技術改善、船舶機関の性能改革、観光事業の普及宣伝として海事思想、各自治体の地方財政に寄与することでした。笹川良一さんが最後まで望みを捨てずモーターボート競走法が成立しても苦労がなくなるわけではなく、毎日何かしらの新しい難題が持ち上がったとのことです。

 

異例の措置として可決され成立されましたが、この間、笹川良一さんが国会対策のために費やした努力と資金は膨大なものであったと記されています。

 

20年30年先を見通す先見性と石橋を叩いても渡らない慎重さを併せ持っていた笹川良一さん。「大胆であれ、しかし慎重であれ」という姿勢を心したいものです。

 

また、わたしの心に響く笹川良一さんの名言の中の1つで「片方の目は望遠鏡、片方の目は顕微鏡にしなくては世の中は見えない」
ついつい目の前のことに囚われてしまうわたしの座右の銘です

 

 

 

これらの情報は幻冬舎文庫 工藤美代子著書を参考にさせていただいております

 

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